ヴァランタン・パレ=パントルとは?自転車一家で育った超軽量クライマーの経歴と特徴
2025年ツール・ド・フランス第16ステージ。モン・ヴァントゥーの頂上へ向かう最後の直線で、ヴァランタン・パレ=パントルはベン・ヒーリーとの一騎打ちを制した。
身長178cm、体重52kg。プロトンでも特に細身のフランス人クライマーが、ツールを象徴する名峰で両手を上げた。
その前年には、ジロ・デ・イタリアの山岳ステージでプロ初勝利を挙げている。兄オレリアンもジロのステージ勝者であり、兄弟そろってグランツールで勝利を記録した。
パレ=パントルという名前を聞けば、兄のオレリアンを思い浮かべる人もいるだろう。
ヴァランタンは幼い頃から兄と同じクラブに所属し、同じ育成組織を通り、同じプロチームでキャリアを始めた。常に「オレリアンの弟」として比較されてきた選手でもある。
しかし、ヴァランタンは単に兄の後を追ってきたわけではない。
体重が50kgに満たなかったジュニア時代から、山岳だけでなく平坦や横風のレースにも挑戦した。集団内の位置取りに優れ、スプリントでも上位に入った。
2026年ツールでは、その短い加速力を山岳ポイント争いでも発揮している。登りでライバルを引き離すだけでなく、頂上手前のスプリントで先着できることも、ヴァランタンの武器である。
自転車一家で育った末っ子は、どのようにしてグランツールのステージ勝者になったのか。
ヴァランタン・パレ=パントルの家族、育成時代、プロ入り後の苦戦、そして選手としての特徴を紹介する。
この記事のポイント
- 父、兄、姉も自転車競技に関わる家庭で育った
- 5〜6歳頃からクラブで競技を始めた
- 体重48kg前後でも平坦や横風のレースで戦えた
- 2019年クラシック・デ・ザルプ・ジュニアで優勝した
- プロ入り直後はトレーニング量の不足に苦しんだ
- 2024年ジロ、2025年ツールでステージ優勝を挙げた
- 登りの頂上での短いスプリントにも強さを持つ
プロフィール
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | ヴァランタン・パレ=パントル |
| フランス語表記 | Valentin Paret-Peintre |
| 生年月日 | 2001年1月14日 |
| 年齢 | 25歳 |
| 国籍 | フランス |
| 出生地 | オート=サヴォワ県アヌマス |
| 身長 | 178cm |
| 体重 | 52kg |
| 所属 | スーダル・クイックステップ |
| プロ転向 | 2022年 |
| 兄 | オレリアン・パレ=パントル |
| 主な勝利 | 2024年ジロ第10ステージ、2025年ツール第16ステージ |
| 選手タイプ | 長い登りと急勾配を得意とする超軽量クライマー |
自転車一家で育った幼少期
ヴァランタンは2001年1月14日、フランス東部のオート=サヴォワ県アヌマスで生まれた。
アヌマスはスイス国境に近く、周囲にはアルプスの山々が広がる。自転車競技やウインタースポーツが身近な土地である。

パレ=パントル家では、土地柄以上に自転車が生活の中心にあった。
父オリヴィエは元アマチュア選手で、現役引退後は地元のVCアヌマスでコーチや監督を務め、後に会長となった。
兄のオレリアンはヴァランタンより5歳年上で、後にワールドツアー選手となった。姉のマエヴァも競技者としてジュニア欧州選手権6位に入り、その後は栄養士の道へ進んでいる。
家では朝から晩まで自転車の話が飛び交った。
レースの展開、コースの特徴、トレーニング、機材、選手の動き。ヴァランタンは競技を始めた頃から、家庭の中で自転車レースの考え方に触れていた。
ヴァランタンが自転車競技を始めたのは5〜6歳頃だった。
最初に所属したのはVCクルーズ=シオンジエ。その後、父が指導していたVCアヌマスへ移った。
兄と姉もレースに出場していたため、週末には家族全員で各地の会場へ向かった。
両親は3人の子どもと自転車を運ぶため、商用バンのルノー・トラフィックを購入した。末っ子のヴァランタンが朝に走り、その後に姉や兄のレースが行われる。一日が丸ごと自転車で終わる生活だった。
兄オレリアンとは同じ部屋で二段ベッドを使い、壁にはアルベルト・コンタドールやファビアン・カンチェラーラのポスターが貼られていたという。
ヴァランタンにとって、自転車レースは特別なイベントではない。
幼い頃から繰り返されてきた、家族の日常だった。
常に兄オレリアンと比較されてきた
ヴァランタンのキャリアには、常に兄オレリアンの存在があった。
同じ地元クラブで走り、AG2Rの育成組織を通り、同じトップチームへ昇格した。
ヴァランタンが初めて出場するレースでも、兄が先に走っていることが多かった。レース前にはオレリアンからコースの特徴や危険な場所、勝負どころを聞くことができたという。
オレリアンは弟の育成について、父にはすでに自分という「実験台」がいたため、ヴァランタンのトレーニングを最適化しやすかったのではないかと冗談を交えて話している。
兄の存在は、ヴァランタンにとって大きな助けだった。
一方で、同じ道を進んだからこそ、常に成績を比較された。
結果を残しても兄との違いを聞かれ、思うように走れなければ兄との差を指摘される。二人とも、それぞれを別の選手として見てほしいと望んでいたという。
同じクライマーでも、兄弟は完全に同じ選手ではない。
兄オレリアンはステージレースで安定して順位をまとめる力を持つ。ヴァランタンはさらに軽く、勾配が厳しくなるほど能力を発揮しやすい。
同じ道から始まった兄弟のキャリアは、少しずつ異なる方向へ分かれていった。
46kgで勝ったカデット時代
ヴァランタンの才能が早くから表れたレースの一つが、2017年6月4日にアンスルで行われたカデット(15〜16歳〜16歳の年代))年代の大会である。
複数地域から有力選手が集まる、日本でいえば関東大会などに近い規模の広域大会だった。
当時16歳。体重はわずか46kgだった。
ヴァランタンは先頭集団の中で機会を待ち、残り3kmでアタック。そのまま抜け出して勝利した。
何度も無理に動いたのではなく、最後の一発を決めるタイミングを見極めた。
レース後も、勝利に興奮するより先に展開を冷静に分析していたと伝えられている。
自転車一家の中で身につけたレース感覚は、すでにカデット年代から表れていた。
48kgでも平坦と横風で戦えた
ジュニア年代では、地元のVCアヌマスに加え、Btwin U19 Racing Teamで走った。
当時の体重は48kg前後。
コーチのダヴィド・ジローは、これほど軽い選手でありながら、ヴァランタンが平坦や横風のレースでも戦えることに驚いたという。
通常、体重の軽いクライマーは横風の影響を受けやすい。
平坦では大柄な選手のパワーに押され、集団内の位置取りでも不利になる。風によって集団が分断されるレースでは、後方へ下がった瞬間に勝負から脱落することもある。
しかし、ヴァランタンは集団の中を器用に移動し、必要な位置を確保できた。
ネイションズカップのツール・デュ・ペイ・ド・ヴォーでは、集団スプリントで4位に入った。スプリンターではないにもかかわらず、同世代の有力選手に混じって最後まで位置を失わなかった。
絶対的なパワーで押し切ったわけではない。
選手と選手の間を抜け、風を避け、脚を消耗させずに前方へ残る。体格の不利を技術で補っていた。
また、オランダで行われるトロワ・ジュール・ダクセルにも出場した。
平坦と横風が特徴のジュニアステージレースで、軽量クライマーに適した大会ではない。コーチからは吹き飛ばされるようなレースだと説明されたが、ヴァランタンは、それならなおさら出場したいと答えたという。
得意な山岳だけを選ぶのではなく、不利な条件の中でも戦う。
育成年代に平坦や横風を避けなかったことが、プロで登りまで良い位置を保つ技術につながっている。
クラシック・デ・ザルプで兄に並んだ
ジュニア時代を代表する結果が、クラシック・デ・ザルプ・ジュニアである。
アルプスの登りを舞台とするフランス屈指のジュニア山岳レースで、多くの有力クライマーを輩出してきた。
ヴァランタンはジュニア1年目の2018年に2位。翌2019年には優勝した。
兄オレリアンも2013年に同大会を制しており、兄弟そろって優勝者となった。
フィニッシュ地点のラ・ブリドワールには祖父母が住んでいたため、家族にとっても特別な勝利だった。
ヴァランタンは主要な登りのモン・デュ・シャで、ダビ・ゴデュが持っていた大会の登坂記録を約1分更新したとされる。
ゴデュはフランスを代表するクライマーの一人である。その記録を更新したことで、ヴァランタンの登坂能力は国内で大きく注目された。
勝利後には、前年は2位で今回は優勝したため、この大会では兄より良い成績を残したと冗談を口にした。
常に兄の後を追ってきた弟が、自分の力で同じ勝者の一覧に名前を刻んだ。
シャンベリー・シクリスム・フォルマシオンからプロへ
2020年、ヴァランタンはシャンベリー・シクリスム・フォルマシオンに加入した。
シャンベリー・シクリスム・フォルマシオンはAG2Rの育成組織として知られ、多くのプロ選手を輩出してきたチームである。兄オレリアンも同じ組織を経てプロ入りしていた。
U23初年度には、ピレネーを舞台とするロンド・ド・リザールに出場した。
ヴァランタンはアクス・トロワ・ドメーヌの頂上フィニッシュで、後続に56秒差をつけて勝利。総合でも6位に入った。
ジュニアで示していた登坂力が、U23カテゴリーでも通用することを証明した結果だった。
2021年にはツール・ド・モゼルで総合優勝。こうした成績が評価され、2022年にAG2Rシトロエンのトップチームへ昇格した。
プロチームでも兄と同じジャージを着ることになった。
プロ入り後に直面した練習量の不足
有望なジュニアとして結果を残し、U23でも山岳ステージを制した。
しかし、プロ入り後のキャリアは順調に進んだわけではない。
ヴァランタンはジュニアからU23前半にかけて、肩を2度脱臼していた。その影響もあり、育成年代に積み上げた年間走行距離は多くなかった。
あるシーズンは約1万2,000km。翌年も約1万8,000km程度にとどまっていたという。
2022年にプロへ昇格すると、レース数、走行距離、トレーニング強度のすべてが急激に増えた。
コーチのアレクサンドル・アベルによれば、当初のヴァランタンは計画されたトレーニングの約70%しか消化できていなかった。
一度の登りで高い出力を出すことはできた。
しかし、高強度の走りを何度も繰り返したり、長いレースを連日こなしたりするための土台が不足していた。
プロのレースでは、最後の登りに入る前にも何度もペースアップが起こる。登坂力を持っていても、勝負どころまで脚を残せなければ結果にはつながらない。
ヴァランタンには、才能をプロのレースで使い切るための持久力が必要だった。
初めてのジロが意識を変えた
2023年、ヴァランタンはジロ・デ・イタリアに初出場した。
すぐに大きな成績を残したわけではない。それでも、3週間にわたるグランツールを経験したことが、本人の意識を変えたという。
世界トップクラスの選手がどれだけのトレーニングを積み、どのように回復し、3週間のレースを走っているのかを間近で見た。
自分に足りないものも明確になった。
その後の冬、ヴァランタンは従来より多くのトレーニングを消化した。
単に距離を増やすだけではない。高強度を繰り返す力や、疲労した状態でも出力を維持する能力を高めた。
ジュニア時代から持っていた登坂力に、プロとして戦うための土台が加わり始めた。
その成果が表れたのが、2024年のジロだった。
2024年ジロでプロ初勝利
2024年5月14日、ジロ・デ・イタリア第10ステージ。
休息日明けの山岳ステージで、ヴァランタンは逃げに入った。
最後のボッカ・デッラ・セルヴァへの登りでは、ロマン・バルデらと先頭を追走。バルデを振り切ると、残り約2kmで先頭のヤン・トラトニクを追い抜いた。
そのまま単独でフィニッシュし、プロ初勝利を挙げた。
当時23歳。
ワールドツアーでの初勝利が、グランツールの山岳ステージだった。
その日のレースには兄オレリアンも出場していた。兄は2023年ジロ第4ステージで勝利しており、パレ=パントル兄弟はそれぞれジロのステージ勝者となった。
ただし、ヴァランタンの勝利は、兄と同じことを成し遂げたというだけではない。
プロ入り後に不足していた練習量を増やし、長時間のレースでも最後まで能力を残せる身体を作った結果だった。
ジュニア時代から知られていた才能が、ようやくプロの勝利へ変わった。
2025年モン・ヴァントゥーでツール初勝利
2025年、ヴァランタンは長く在籍したAG2R系チームを離れ、スーダル・クイックステップへ移籍した。
幼少期から兄と同じクラブ、同じ育成ルート、同じプロチームを歩いてきたヴァランタンにとって、初めて明確に別の道を選んだ移籍でもあった。
移籍後はツアー・オブ・オマーンのグリーンマウンテンでステージ優勝。総合2位、ポイント賞、新人賞も獲得した。
そして迎えたツール・ド・フランス第16ステージ。フィニッシュはモン・ヴァントゥーだった。
ヴァランタンは逃げに入り、最後の登りまで先頭争いに残った。頂上が近づくにつれて人数が減り、最後はベン・ヒーリーとの勝負になった。
フィニッシュ直前、ヴァランタンはヒーリーとの山頂スプリントを制した。
2024年ジロに続く、2年連続のグランツールステージ優勝。フランス人選手がモン・ヴァントゥーで勝利するのは、2002年のリシャール・ヴィランク以来23年ぶりだった。
自転車一家の末っ子として育ち、兄と比較され続けてきた選手は、フランス中が注目する名峰で一人の勝者になった。
ヴァランタン・パレ=パントルの選手としての特徴
ヴァランタン・パレ=パントルは、身長178cm、体重52kgの超軽量クライマーである。長い登りや急勾配を得意とし、2024年ジロ・デ・イタリアと2025年ツール・ド・フランスでは、ともに山岳ステージで勝利した。
軽量クライマーながら、平坦や横風への対応力も比較的高い。ジュニア時代には体重48kg前後でツール・デュ・ペイ・ド・ヴォーの集団スプリント4位に入り、横風の厳しいトロワ・ジュール・ダクセルにも出場している。
もう一つの特徴が、登りを終えた後の短いスプリント力である。2025年ツールのモン・ヴァントゥーでは、ベン・ヒーリーとの山頂スプリントを制した。
2026年ツールでも山岳賞を目標に逃げへ入り、頂上手前のスプリントで先着してポイントを重ねている。第14ステージ終了時点では、タデイ・ポガチャルに次ぐ山岳賞2位につけた。
純粋な登坂力に加え、平坦での位置取りと、少人数での短いスプリントを備えていることがヴァランタンの強みである。
一方、体重の軽さから、平坦での高速巡航や個人タイムトライアルは、ステージレースの総合順位を狙ううえでの課題となる。
兄の後を追った選手から、一人の勝者へ
ヴァランタン・パレ=パントルは、自転車一家の末っ子として育った。
父が地元クラブを率い、姉と兄も自転車競技に取り組む。週末は家族全員でレースへ向かい、家では朝から晩まで自転車について話した。
兄オレリアンと同じクラブ、同じ育成組織、同じプロチームを進んだことで、常に兄と比較されてきた。
しかし、ヴァランタンは兄と同じ選手ではない。
体重52kgの登坂力に加え、平坦への対応力と登りの頂上でのスプリント力を持っている。
プロ入り直後には練習量の不足に苦しんだが、初めてのジロをきっかけにトレーニングを見直した。
2024年にジロでプロ初勝利。
2025年には兄と長く所属したチームを離れ、スーダル・クイックステップへ移籍。そしてツール・ド・フランスのモン・ヴァントゥーを制した。
2026年ツールでは、山岳賞を目標に逃げへ入り、頂上手前のスプリントでポイントを積み重ねている。
兄の後を追って始まったキャリアは、すでにヴァランタン自身のものになった。
超軽量クライマーとしての登坂力だけでなく、平坦への対応力や短いスプリントも備えていることが、ヴァランタン・パレ=パントルの強みである。
経歴年表
| 年月日 | 主な出来事 |
|---|---|
| 2001年1月14日 | フランス・オート=サヴォワ県アヌマスで生まれる |
| 2006〜2007年頃 | 5〜6歳で自転車競技を始める |
| 2017年6月4日 | アンスルで行われたカデット年代の広域大会で優勝 |
| 2018年 | クラシック・デ・ザルプ・ジュニア2位 |
| 2019年 | クラシック・デ・ザルプ・ジュニア優勝 |
| 2020年 | シャンベリー・シクリスム・フォルマシオンに加入 |
| 2020年9月 | ロンド・ド・リザール第3ステージで優勝、総合6位 |
| 2021年 | ツール・ド・モゼル総合優勝 |
| 2022年 | AG2Rシトロエンでプロ転向 |
| 2023年 | ジロ・デ・イタリア初出場 |
| 2024年5月14日 | ジロ・デ・イタリア第10ステージでプロ初勝利 |
| 2025年 | スーダル・クイックステップへ移籍 |
| 2025年2月 | ツアー・オブ・オマーン第5ステージ優勝、総合2位 |
| 2025年7月22日 | ツール・ド・フランス第16ステージ、モン・ヴァントゥーで優勝 |
| 2026年3月 | ボルタ・ア・カタルーニャ総合4位 |
| 2026年7月 | ツール・ド・フランスで山岳賞争いに加わる |
