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ポガチャルがツール前に向かう山。シエラネバダ高地合宿の実態

Daifuku(ダイフク)

この記事のポイント

  • ポガチャルが山にこもる理由:ツール連覇を狙う王者が、なぜスペイン南部のシエラネバダを主要なトレーニング拠点として選ぶのか、その理由が分かります。
  • 超高地でのリアルな生活:ただ走るだけではない、データ計測や栄養管理に追われるプロ選手たちの過酷な1日のルーティンを覗き見できます。
  • 現代レース高速化の裏側:かつてはエースの特権だった高地合宿が、チーム全体の走力を底上げする「標準装備のインフラ」へと進化した歴史を紐解きます。

世界最強の男がツール前にこもる山

タデイ・ポガチャル(UAE Team Emirates-XRG)がツール・ド・フランス開幕を前にして向かうのは、毎年のようにスペイン南部にあるシエラネバダの山だ。

5月半ばから6月上旬にかけての約3〜4週間、彼はこの地で世間から離れ、ツール連覇に向けた過酷なトレーニングに身を投じる。チームは今年のツール・ド・スイスの日程変更に合わせて、この合宿の時期も柔軟に調整して彼を送り出した。

標高2,000メートルを超える高地でありながら、少し山を下れば初夏のまぶしい暑さの中で走ることもできる。なぜ世界最強の選手は、数ある山の中からこの場所を選ぶのか。

そこには、現代ロードレースがたどり着いた「勝つための準備」が詰まっている。王者の強さを支えるシエラネバダ合宿の全貌を、現地のリアルな生活や科学の視点から読み解いていく。

密着・高地合宿。プロ選手はある一日をどう過ごすのか

「高地合宿」と聞くと、ひたすら山を走り続けるストイックな日々を想像するが、現地でのプロ選手の日常は驚くほど規則正しく、ルーティン化されている。典型的な一日の流れを覗いてみよう。

  • 07:30〜08:30 | 起床・コンディションチェック 毎晩の就寝前と起床時に、血中酸素飽和度(SpO2)を測定して高地への適応具合を確かめる。さらに尿比重検査で体内の水分状態をチェックし、脱水が起きていないかを確認してから、チーム専属シェフが栄養を徹底管理した朝食をとる。
  • 09:30〜15:30 | 4〜6時間のハードライド バイクにまたがり、シエラネバダの過酷な峠へと繰り出す。メニューは日によって異なり、じっくり走る日もあれば、心拍数を限界まで追い込むインターバルが課される日もある。
  • 15:30〜17:00 | 昼食・マッサージ・昼寝 帰館後すぐにプロテインや炭水化物を補給し、固まった筋肉をマッサーの手によってほぐす。高地でのトレーニングは平地以上に疲労が溜まるため、その後の短い昼寝(シエスタ)も重要な練習の一部だ。
  • 17:00〜19:30 | データ確認・リラックス その日に走ったパワーメーターのデータをコーチとともに振り返る。悪天候で外を走れない日は、室内でZwiftなどのバーチャルプラットフォームを使って数時間ペダルを回すこともある。
  • 19:30〜22:30 | 夕食・睡眠 翌日のエネルギーとなる夕食をとり、夜はしっかりと睡眠時間を確保して翌日に備える。

実際の1日の様子は、UAE Team Emiratesの育成チームに所属するモーリッツ・マウスのVlog投稿が参考になる。朝食後に4〜6時間のトレーニングを行い、その後は食事、マッサージ、回復に時間を使う。

こうした規則正しい生活をベースにしながら、ポガチャルレベルになると、1週間の総乗車時間は25〜30時間、走行距離は700〜900kmに達する。驚くべきは、1週間で積み上げる獲得標高が15,000〜20,000メートルに及ぶことだ。

合宿の最初の3〜4日間は体を慣らす「適応フェーズ」としてホテルの周りを軽く走るが、5日目以降は一転して猛特訓が始まる。土曜日などのロングライド日には、1日で5,000メートル以上も登ることがある。

彼らは、酸素が薄い標高2,320メートルの高パフォーマンスセンター(CAR)で暮らし、強度の高い練習をするときは酸素を取り込みやすい低地へ下り、終わればまた高地へ登って眠る。この「Live High, Train Low(高地に住み、低地で訓練する)」を理想的な形で実践できる地形こそが、シエラネバダの最大の強みなのだ。しかも拠点のCARから少し足を伸ばせば、ヨーロッパ最高峰級の舗装路ピコ・デル・ベレータ(3,400m)にアクセスできる。ツールの超級山岳を超高地で模擬できる場所は、ヨーロッパにそう多くない。

超高地がもたらす科学的なアドバンテージと限界

シエラネバダの拠点からさらにペダルを踏み込めば、ヨーロッパで最も高い舗装路の一つである「ピコ・デル・ベレータ(約3,400メートル)」へとアクセスできる。これほどの超高地で走る経験は、ツールの超級山岳を模倣する上で、他では得られない絶対的なアドバンテージとなる。

さらに、麓まで下りれば気温が30℃を超える日もあり、近年のグランツールで勝敗を分ける重要な要素である「熱順化(暑さへの身体の適応)」も同時に行える。

では、なぜ高地にいるだけで強くなれるのだろうか。人間は酸素が薄い環境に滞在すると、身体が危機感を覚え、赤血球やヘモグロビンを増やして全身への酸素運搬能力を高めようとする。

科学的な研究データによれば、20日前後の滞在でヘモグロビン総量は平均して約40g増加し、平地に下りてきたときの最大酸素摂取量(VO2max)が数%改善することが証明されている。この「貯金」を抱えてツールに挑むわけだ。

ただし、この科学的アプローチも万能ではない。プロ選手の20〜25%は、高地に行ってもヘモグロビンが増えない「non-responder(低反応者)」であることが分かっている。また、酸素が足りないせいで平地ほどの爆発的なパワーを出した練習ができず、かえって筋肉への刺激が弱まるというリスクもある。

現代のチームは、こうしたメリットとデメリットのバランスを天秤にかけながら、緻密にメニューを組み立てている。

特権からインフラへ:ロードレースを劇変させた歴史

今や全選手にとって当たり前となった高地合宿だが、その歴史の原点は1968年のメキシコ五輪だった。

標高2,240メートルの高地で行われたこの大会で、持久系種目の記録が大幅に悪化したことから、「高地は持久力を左右する」という科学的な関心が世界中で高まった。その後、1997年に先述の「Live High, Train Low」モデルが実証され、現代の理論的な土台が完成する。

この科学をチームの「システム」として大衆化させ、ロードレース界に革命を起こしたのが、2010年代のチームスカイ(現ネットカンパニー・イネオス)だった。

それ以前の高地合宿は、一部の限られたエース選手だけが山へこもって行う「贅沢な準備」という側面が強かった。しかしスカイは、パワーメーターのデータをもとに合宿のアプローチを完全に最適化。ブラドレー・ウィギンスやクリス・フルームを高地へ送り込み、ツールを圧倒的な力で支配してみせた。スカイの成功を見たライバルチームたちは一斉にこれに追随し、ノウハウは瞬く間に広がっていった。

今や高地合宿は、リーダーだけでなくアシスト陣も含めたチーム全員で年に複数回向かう、現代ロードレースの「標準装備のインフラ」へと進化したのだ。

連覇の鍵を握る「二段階高地計画」

2026年、ポガチャルが考えているツール連覇へのカレンダーは、非常に緻密な「二段階高地計画」に基づいている。

まずはこのシエラネバダで約3〜4週間滞在してベースとなる身体を徹底的に作り上げ、前哨戦であるツール・ド・スイスを「第1フェーズ」の最終調整として走る。その後、今度はツール本番の直前合宿として、フランス・アルプスのイゾラ2000へと移動する。

イゾラ2000での短期合宿(第2フェーズ)は、実際のツールの開催地に近く、コース試走を兼用できるメリットがある。

ポガチャルはこのシエラネバダとイゾラ2000を組み合わせた2段階の合宿方式によって、過去のツール優勝を成し遂げており、今年もその勝利の方程式を忠実に踏襲している。

7月に開幕するツール・ド・フランス。山岳ステージでポガチャルが決定的なアタックを決めたとき、あるいはタイムトライアルで驚異的な走りが叩き出されたとき、その爆発的なパワーの背景には、この南スペインの超高地という「聖地」で、緻密なルーティンと科学によって研ぎ澄まされた肉体がある。画面に映る王者の走りの裏側にある物語を知ることで、今年のツール観戦はより深いものになるはずだ


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