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レムコはなぜツール前に68日も引きこもるのか。肉体改造とレッドブルの計算

Daifuku(ダイフク)

この記事のポイント

  • 異例の「68日間レースなし」:レムコ・エヴェネプールは4月下旬からツール本番まで、準備のためのレースを一切走らずに合宿へ引きこもる作戦をとった。
  • 狙いは「山岳用の身体」への改造:元々スマートな登り専用の体型ではないレムコが、厳しい山岳ステージを乗り切るための「計画的な大減量期間」としてこの空白を使っている。
  • スポーツ界の「データvs経験」:レースを走って調子を上げるライバルたちに対し、すべてを練習環境で1ミリの狂いもなく管理しようとするチームの思想がぶつかり合う。

なぜ総合優勝候補がレースから消えたのか

現代のロードレースで一番の目標である「ツール・ド・フランス」の総合優勝を狙うエースが、本番前に2ヶ月以上もレースから遠ざかる。そんな異例の事態がサイクリング界で話題になっている。

主役は2026年シーズン、新しいオーナーとして飲料メーカーのレッドブルを迎え入れた「レッドブル・ボーラ・ハンスグローエ」へと移籍した、ベルギー出身の26歳、レムコ・エヴェネプールだ。

レムコは4月下旬のリエージュ〜バストーニュ〜リエージュを最後に、7月4日のツール・ド・フランス第1ステージ(バルセロナ)まで、実に68日間も公式レースを走らない道を選んだ。当初予定していた前哨戦への出場を取りやめ、国の一番を決めるベルギー選手権の参加も見送っている。

本来なら本番前のレースで仕上がりを確認し、集団の中での感覚を鋭くしていくのがこれまでの王道だった。なぜ新チームでの初ツールという大舞台を前に、これほど極端な「レースなしの調整」を選択したのだろうか。その裏には、現代のスポーツ界全体に広がりつつある「すべてを完璧にコントロールしたい」という強い狙いがある。

「レムコだけの異常値」か? ライバルたちの選択

この「68日間の空白」がどれほど珍しいことなのか。今年のツールで表彰台を争う他のライバルたちの準備と比較すると、レムコの選択が際立った特徴を持っていることがよく分かる。

実際に、主要なライバルたちは以下のようなアプローチでツールへの最終調整を進めている。

  • ヨナス・ヴィンゲゴー:5月のジロ・デ・イタリアで総合優勝を果たし、その圧倒的な勢いとレースの厳しさを保ったまま、連続でのグランツール制覇を狙う。ジロの激戦(レース強度)を経て本番へ乗り込むスタイルだ。
  • タデイ・ポガチャル:山での合宿でじっくりとベースを作りつつも、ツール直前にレースの刺激を身体に入れるため「ツール・ド・スイス」に出場。データと実戦を組み合わせる選択をしている。

このようにライバルたちが実戦(あるいは直前までのグランツール)の強度を経験、選択していく中で、レムコとレッドブルチームは完全に「引きこもる」ことでツールに照準を合わせた。3人のアプローチを一覧にまとめると、その考え方の違いがよりはっきりする。

チームのスポーツ責任者であるザク・デンプスターは、春のシーズンだけで合計15日間レースを走っており、データはすでに十分集まったと説明するが、コーチであるパトシ・ビラの発言には、もっと本質的な理由が隠されている。

「前哨戦のような大会では、展開をコントロールできない。ものすごく速く進むこともあれば、のんびり進むこともある。私たちは負荷や進み具合、プロセスを自分たちでコントロールしたいんだ」

落車によるケガのリスクを避けるのは当然として、それ以上にチームが嫌ったのは「他者がコントロールする環境に身を置くこと」そのものだ。

他人の動きに練習の質を邪魔されるのを嫌い、すべてを数値にして確認できる山の上の静かな環境で、「ミリ単位」の練習メニューをきっちりこなすこと。これこそが、一番安全で確実な方法だという計算だ。

レースを走る時代から、練習だけで仕上げる時代へ

実は、この「事前のレースをスキップして、練習のデータ管理を徹底する」という動きは、レムコや自転車界だけのことではない。最近のスポーツ界全体のトレンドでもある。

かつてのマラソン界では、たくさんのレースに出場しながらタフな身体を作っていくのが常識だった。しかし、現代のトップランナーは本番前の数ヶ月間、完全に管理された山の上の合宿所にこもり、一発勝負で世界記録を狙う傾向が強まっている。トラック競技や水泳、トライアスロンでも、実際のレースは「練習のデータが正しかったか確かめる場所」に過ぎず、身体を作るのは完全にプログラミングされた練習環境になっている。

昔の自転車界でも「レースの代わりになる練習なんてない」と言われ、本番前の準備レースで泥にまみれて走ることが美徳とされてきた。しかし今、スポーツ科学の発展によって「レース以上のきつい負荷を、安全に、そして正確に再現できる」ようになった。レムコの68日間の空白は、こうした最新のスポーツ科学の考え方が、ロードレースにも本格的に持ち込まれた分かりやすい例と言える。

68日間が必要だった本当の理由:「体型変換」という現実的なアプローチ

では、なぜ「68日間」というこれほど長い時間が必要だったのか。その答えは、レムコ・エヴェネプールという選手の「生まれ持った体つき」にある。

レムコは元々、ライバルたちのような、生まれつき細身の「山登り専用クライマー」ではない。どちらかといえば、がっしりとした筋肉質な体つきから爆発的なパワーをくり出すタイプだ。実際、今年の春もそのパワーを武器に、アムステル・ゴールドレースで優勝を飾っている。

しかし、ツールの過酷な長い山岳ステージでライバルたちと対等に戦うためには、その筋肉を限界まで削ぎ落とし、軽やかに山を登るための「ツール専用の体型」へと、身体を根本から作り変える必要がある。

この「体型のチェンジ」は、急にやると体調を崩したり、パワーが落ちたりして選手を壊してしまう。だからこそチームは、68日間という長い引きこもり期間を、のんびり休むためではなく、「計算し尽くされた減量と肉体改造の期間」として使ったという見方ができる。

合宿を共にしたマキシム・ファン・ヒルスは、標高2,300m以上の高い山の上で、1日に6〜7時間、200キロを超えるロングライドを何度も繰り返したと話している。徹底的に管理された食事と、酸素の薄い過酷な環境。他人の目をシャ断し、すべてをコントロールできる環境だったからこそ、チームはレムコの身体をツール仕様の身体へと仕上げる計画を予定通りに進められたのだ。

究極の問い:「レース勘」は本当に存在するのか

この徹底的なデータ至上主義に対し、昔ながらの経験を重んじるベテランやライバルからは強い疑問の声があがっている。元ツール覇者であるゲラント・トーマスは、自身の音声番組でこのようにチクリと刺した。

「ツールまでただ練習だけしているなんて無理がある。メンタル面もあるはずだ。レースでのアドレナリンや、密集した集団内でのストレスへの対処は、どれだけ山の上でハードに走っても再現できないよ」

ここで私たちは、現代スポーツにおける究極の問いに直面する。――「レース勘」という目に見えない経験は、精密なデータによって代わりに準備できるものなのだろうか?

これは身体的な数字だけでなく、メンタルや集団内での立ち回りも含めた深い議論だ。F1レーサーに「シミュレーターだけで本番のスピードや恐怖心に対応できるか」と聞けば今でも意見は分かれるし、プロ野球のバッターに「最新のデータとバッティングマシンだけで、生きた投手の球が打てるか」と聞いても答えは一つではない。

チームの計算を信じて「管理されたデータ(練習)のほうが確実だ」と主張するレムコ側と、「予想がつかない展開への対応力(本能)はレースでしか身につかない」と主張するトーマス。

過去、レムコはこの戦略に近い形で2022年のブエルタ・ア・エスパーニャという大きな大会を制した成功体験がある。しかし、当時と現在ではライバルの強さが全く違う。

ジロを圧倒的な強さで制したヴィンゲゴーや、本番直前のスイスのレースに出場するポガチャルという、世界トップクラスの選手たちがそれぞれの方法でツールに照準を合わせてきている。

徹底的に管理された練習メニューは、これまでのベテランたちが重視してきた「レースで磨く本能や経験」にどこまで通用するのか。7月4日、バルセロナのスタートラインから始まるツール・ド・フランスは、現代ロードレースのトレーニング思想の現在地を測る、興味深い一戦になりそうだ。

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